アメディオ・モディリアーニは、フランスで活躍したイタリア出身の画家です。
芸術家の集うモンパルナスを拠点に、エコール・ド・パリの画家の1人として活躍。
生前は十分な評価を得られぬまま、貧困のうちに35歳という若さで亡くなりました。
死後に評価が高まり、世界中で大規模な回顧展が開かれ、現在はコレクターに高額な金額で落札されるほど。
今回は、瞳のないアーモンド型の目と長い首を特徴とする肖像画を多く描いたアメディオ・モディリアーニゆかりの地をご紹介していきます。
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このページの目次
アメディオ・モディリアーニ(Amedeo Modigliani)とは?
アメディオモディリアーニ(Amedeo Modigliani) | |
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出没年 | 1884年7月12日-1920年1月24日 35歳で結核性髄膜炎により死去 |
様式・流派 | エコール・ド・パリ |
出身 | イタリア(リヴォルノ) |
代表作 | 《黄色のセーターを着たジャンヌ・エビュテルヌ》グッゲンハイム美術館 《青い眼の女》パリ市立近代美術館 《ポール・ギヨームの肖像》オランジュリー美術館 |
影響を受けた人物 | ポールセザンヌ、コンスタンティンブランクーシ |
幼少期から学生時代
1884年7月12日、アメディオ・モディリアーニはイタリア北西部の港街リヴォルノで誕生しました。
父親は実業家でしたが、モディリアーニの生まれた年に破産。そのため母親が所帯を切り盛りしていました。
1898年、風景画家Guglielmo Micheliに師事します。
1902年、フィレンツェの画塾で学び、翌年ヴェネツィアの美術学校に入学しています。
1906年、パリに移住。
市立美術学校アカデミー・コラロッシに入学し、モンマルトルに居を構えます。
バトー・ラヴォワール(洗濯船)と呼ばれるボヘミアン芸術家たちのたまり場だった集合アトリエ兼住居に出入りし、Pablo PicassoやGuillaume Apollinaire、Georges Braque、Maurice Utrilloらと交流を結びます。
1907年、サロン・ドートンヌの回顧展でPaul Cézanneを知り、強い衝撃を受けます。
同年、医師でコレクターでもあったPaul Alexandreと知り合い、彼の庇護のもと芸術家として活動していきます。
芸術キャリア
1909年、モンパルナスの集合アトリエ兼住居「Cité Falguière」に拠点を移します。
ルーマニア出身の前衛彫刻家Constantin Brâncuşiと知り合い、彫刻に情熱を注ぎ込みます。
1912年、サロン・ドートンヌに彫刻7点を出品。
1913年、パリに出てきた藤田嗣治やChaïm Soutineがシテ・ファルギエールで暮らし始め、交友を深めます。
1914年、イギリス人ジャーナリストで詩人のBeatrice Hastingsと出会い、同棲生活をはじめますが、2人は酒や麻薬に溺れ、翌年に破局しています。
1915年から1918年にかけて、モディリアーニは絵画に意欲的に取り組みます。
ピカソやMoïse Kislingらとともにグループ展に名を連ね、同世代の前衛の1人として注目を浴びるように。
しかし相変わらず、経済的に困窮が続きました。
1916年、画商でコレクターでもあったLéopold Zborowskiに出会います。
自宅の一室をアトリエとして使わせ、画材やモデルも提供しました。
同年、画学生のJeanne Hébuterneと知り合い、恋人関係になります。ジャンヌは、藤田嗣治のモデルもしていました。
1917年、ベルト・ヴェイユ画廊で初めての個展を開催。
1918年、第一次世界大戦の戦火を避け、モディリアーニは妊娠中のジャンヌとともに南フランスのニースに疎開。
同年11月29日にジャンヌは女の子を出産しました。
1920年1月23日、幼少時代からの肺結核に加えて、不摂生な生活により健康問題に悩まされていたモディリアーニは、意識不明でパリの慈善病院へ運ばれます。
そして24日夜、そのまま帰らぬ人となりました。享年35歳でした。
死後
さらに悲劇は続き、26日早朝に2人目の子供を妊娠していたジャンヌは、モディリアーニの後を追い、アパルトマンから投身自殺。わずか21歳のこと。
お腹の子も亡くなりましたが、モディリアーニとジャンヌとの間に生まれた1歳2ヶ月の娘ジャンヌは、モディリアーニの姉に引き取られ、フィレンツェで育てられ、のちに美術研究者になっています。
2018年5月、サザビーズの競売で当時史上最高額の1億5720万ドルで裸婦像が落札されており、現在も大人気の画家のひとりです。
モディリアーニゆかりの地巡りのベストシーズン
フランスのベストシーズンは1年中と言っても過言ではありません。
どの季節も素晴らしいのですが、郊外や外の観光メインであれば気候の良い春から秋にかけてがおすすめです。
4月~10月までは営業時間が延びる施設が多く、多くのスポットを観光することができますよ!
美術館だけがお目当てであれば、あえて、オフシーズンでリーズナブルな冬の期間も良いと思います。
モディリアーニゆかりの地4選
①モンマルトル(Montmartre)
パリ北部に位置するモンマルトル界隈は、かつて多くの芸術家たちがアトリエや住居を構えた場所です。
パリへ渡ったモディリアーニもまたその1人で、ピカソやユトリロらと交流を深めました。
下町情緒が残るモンマルトルは、今ではパリ有数の観光スポットです。
サクレ・クール寺院やテアトル広場、ムーラン・ルージュ、モンマルトル美術館など見どころがたくさんあり、多くのアトリエが残っています。
1970年に火災で焼失した「洗濯船(バトー・ラヴォワール)」と呼ばれた集合アトリエ兼住居は、現在は再建され、アトリエとして使われています。
バトー・ラヴォワール(洗濯船)だった場所 | |
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住所 | 13 Rue Ravignan, 75018 Paris 地図 |
最寄り | メトロ12号線Abbesses駅 |
※1970年の火災で焼失
②モンパルナス(Montparnasse)
芸術家たちの集まるモンマルトル界隈の家賃が次第に高騰すると、若い芸術家たちは次第に左岸のモンパルナスへと移りました。
ピカソやシャガール、藤田嗣治など世界中から多くの芸術家がモンパルナスに集結。
1910年代にパリに集まった外国人芸術家「エコール・ド・パリ」の発祥の地として知られ、彼らが足繁く通ったカフェが今でも残っています。
モディリアーニは、1909年にモンマルトルからモンパルナスの集合アトリエ兼住居「シテ・ファルギエール」に移ってきました。
ルーマニア出身の彫刻家コンスタンティン・ブランクーシと出会い、彫刻の制作に取り組みます。
この頃、プリミティヴィズム(原始主義)の気運が高まり、モディリアーニもその影響を受けます。
しかし彫刻制作は体力的にも経済的にも大きな負担となり、1914年に彫刻家への道を断念しています。
③オランジュリー美術館(Musée de l’Orangerie)
チュイルリー公園の西側に位置するオランジュリー美術館は、印象派からキュビスムまでのコレクションが集められた美術館です。
1852年にナポレオン3世により作られた温室(オランジュリー)を改造してできた美術館で、Claude Monetの代表作《睡蓮》が有名です。
天井から自然光が降り注ぐ「睡蓮の間」には、モネの連作《睡蓮》が360度取り囲むように展示されています。
オランジュリー美術館に所蔵されているモディリアーニのコレクションは、《ポール・ギョームの肖像》、《若い見習い》。
《ポール・ギョームの肖像》は大変人気で、この作品を一目にオランジュリーを訪れるファンもいるほど。
オランジュリー美術館 | |
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住所 | Jardin Tuileries, 75001 Paris 地図 |
最寄り | メトロ1, 8, 12号線Concorde駅 |
時間 | 9:00-18:00 |
定休 | 毎週火曜日、5月1日、7月14日の午前、12月25日 |
料金 | 12.5ユーロ 18歳未満無料 ミュージアムパスOK |
HP | https://www.musee-orangerie.fr/ |
※最新情報は公式サイトでご確認ください。
④ペール・ラシェージュ墓地(Cimetière du Père-Lachaise)
パリ東部にあるペール・ラシェージュ墓地は、43ヘクタールという広大な敷地をもつパリ最大の墓地です。
Frédéric ChopinやÉdith Piafなど多くの著名人が眠る墓地として知られており、結核性脳膜炎で亡くなったアメディオ・モディリアーニもここに眠っています。
内縁の妻であったジャンヌ・エビュテルヌは、モディリアーニの死後、後を負い投身自殺をしました。
ジャンヌの亡骸は遺族の反対により、当初モディリアーニの墓地とは別の場所に埋葬されていましたが、のちにモディリアーニの眠るペール・ラシェーズ墓地に改葬されました。
- フランスを代表するシャンソン歌手
エディット・ピアフ - イタリア出身の俳優・シャンソン歌手
イヴ・モンタン - アイルランド出身の作家・劇作家・詩人
オスカー・ワイルド - イソップ寓話で有名なフランスの詩人
ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ - フランスのロマン主義を代表する画家
ウジェーヌ・ドラクロワ - フランスの文豪
オノレ・ド・バルザック - 長編小説「失われた時を求めて」
マルセル・プルースト - オペラの女王・ソプラノ歌手
マリア・カラス - エコール・ド・パリを代表する画家
アメデオ・モディリアーニ - ロマン派を代表する作曲家
フレデリック・ショパン - 印象派の画家
カミーユ・ピサロ - 画家・絵画収集家
ギュスターヴ・カイユボット - オペラ《カルメン》の作曲家
ジョルジュ・ビゼー - フランス6人組・作曲家
フランシス・プーランク - オペラ《セビリアの理髪師》の作曲家
ジョアキーノ・ロッシーニ - バルビゾン派の画家
カミーユ・コロー - 画家
ジョルジュ・スーラ - 新古典主義の巨匠
ドミニク・アングル - 新古典主義の画家
ジャック=ルイ・ダヴィッド - 女性前衛画家
マリー・ローランサン
詳しい情報に関しては「ペールラシェーズ墓地の行き方・営業時間・見どころ徹底ガイド」にまとめています。
ペール・ラシェーズ墓地 | |
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住所 | 16 Rue du Repos, 75020 Paris 地図 |
最寄り | メトロ2号線Philippe Auguste 駅 |
時間 | [11月-3月中旬] 8:00-17:30(月~金) 8:30-17:30(土) 9:00-17:30(日・祝) [3月中旬-10月] 8:00-18:00(月~金) 8:30-18:00(土) 9:00-18:00(日・祝) |
定休 | ー |
料金 | ー |
HP | https://pere-lachaise.com/ |
※最新情報は公式サイトでご確認ください。
モディリアーニゆかりの地まとめ
20世紀初頭、「芸術の都パリ」を目指してやってきたモディリアーニは、ボヘミアンな生活を送りながら制作活動にいそしみました。
もともと虚弱体質だったモディリアーニは、貧困にあえぎ、アルコールと薬物に溺れたすさんだ生活を送り、35歳の若さで亡くなりました。
パリに出てから画家として活動したわずか14年間という短い期間中に、モディリアーニは数多くの作品を残しました。
伝説に彩られたモディリアーニは、死後に評価が高まり、現代芸術に大きな影響を与えました。
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