音楽家・作曲家

ビゼーゆかりの地と教会を巡るフランス旅!パリの暮らしと音楽家の生涯【出没年・墓地】

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マリ@旅ブロガー オハヨーツーリズム
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《カルメン》《アルルの女》で知られるフランスの作曲家ジョルジュ・ビゼー。

生前には作品があまり評価されず、死後ようやく認められた作曲家です。

《カルメン》は、これまでに世界中で数えきれないほど上演されており、多くの人々に愛されています。

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カルメンのプレリュードは音楽に疎い人でも一度は耳にしたことがあるはず。

またビゼーは、「ピアノの魔術師」と呼ばれたリストからも絶賛されたピアノの名手でもありました。

当ブログ「フランスボックス」では、世界中のオペラファンを魅了するジョルジュ・ビゼーゆかりの地をご紹介していきます。

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ジョルジュ・ビゼー(Georges Bizet)とは?

ジョルジュビゼー(Georges Bizet)
出没年 1838年10月25日-1875年6月3日 36歳で敗血症により死去
様式・流派 ロマン派
出身 パリ
代表作 オペラ《カルメン》
組曲《アルルの女》
影響を受けた人物 シャルルグノー、ジャックアレヴィ

幼少期から学生時代

ジョルジュ・ビゼーは、1838年10月25日声楽教師の父とピアニストの母という音楽一家の元に生まれ、幼い頃から音楽に親しみました。

1848年、ビゼーは入学年齢に満たない9歳で、パリ国立音楽院(コンセルヴァトワール)に入学。

Antoine Marmontelアントワーヌ・マルモンテルCharles Gounodシャルル・グノーにピアノを習い、François Benoistフランソワ・ブノワにオルガンを習いました。

またPierre Zimmermannピエール・ジメルマンJacques Fromental Halévyジャック・フロメンタル・アレヴィからは作曲を学び、17歳で初めての交響曲を作曲しています。

芸術キャリア

1857年、19歳のときにカンタータ《クロヴィスとクロティルデ Clovis et Clotilde》で、作曲家の登竜門とされた「ローマ賞※」を受賞し、その後イタリアに3年間留学。

※ローマ賞とは、30歳以下が挑戦できる、年に1度の作曲家のためのコンクール。
過去に、フランスを代表する作曲家Hector Berliozエクトル・ベルリオーズCharles Gounodシャルル・グノーGeorges Bizetジョルジュ・ビゼーClaude Debussyクロード・ドビュッシーなどがローマ賞でグランプリを獲得しています。

パリに帰国後、ビゼーは生計を立てるため、伴奏や指揮、リハーサルピアニスト、楽譜の編曲などさまざまな仕事に従事しました。

1861年、ビゼーはFranz Lisztフランツ・リストに対面し、リストの前でピアノを演奏する機会を得ます。

ビゼーのピアノの腕はリストを驚嘆させ、ドイツ人ピアニストのHans von Bülowハンス・フォン・ビューローと並ぶ実力の持ち主と賞賛されました。

1863年、ビゼーは《真珠採り Les Pêcheurs de perles》を作曲し、オペラ作曲家としての地位を確立します。

1869年、ビゼーはパリ国立音楽院時代の師匠ジャック・アレヴィの娘Genevièveジュヌヴィエーヴと結婚。1872年に息子ジャックが生まれました。

1872年に《アルルの女 L’Arlésienne》を作曲。

1873年には、オペラ・コミックの依頼によりCarmenカルメンを作曲。

1875年3月、オペラ・コミック座で《カルメン》の初演が行われました。しかし酷評にさらされ、失意に陥ったビゼーは、その3ヶ月後に亡くなっています。

皮肉にも1875年10月にウィーンで上演された《カルメン》は、大成功を収め、今では世界中で愛される名曲となっています。

1875年6月3日、パリ郊外のBougivalブージヴァルで、ビゼーは36歳の若さで亡くなりました。ビゼーの遺骸はペール・ラシェーズ墓地に埋葬されています。

ジョルジュ・ビゼーゆかりの地巡りのベストシーズン

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ジョルジュ・ビゼーゆかりの地5選

①ビゼーの生家と結婚後の家

Tangopaso, Public domain, via Wikimedia CommonsTangopaso, Public domain, via Wikimedia Commons

パリ9区のラ・トゥール・ドヴェルニュ通り26番地(26, rue de la Tour d’Auvergne)は、ビゼーの生家。

アパルトマンの外観には、ビゼーが住んだことを示すプレートが掲げられています。

ビゼーの生家
住所 26 Rue Louise-Émilie de la Tour d’Auvergne, 75009 Paris 地図
最寄り メトロ7号線Cadetカデ

※プレートのみ

同じ9区のドゥエ通り22番地(22, rue de Douai)は、ビゼーが結婚後、妻ジュヌヴィエーヴと住んだ家で、ここにも同じようにプレートが掲げられています。

ビゼー結婚後に住んだ家
住所 22 Rue de Douai, 75009 Paris 地図
最寄り メトロ2,12号線Pigalleピガール

※プレートのみ

②ノートル・ダム・ド・ロレット教会(L’église Notre-Dame-de-Lorette)

パリ9区にあるノートル・ダム・ド・ロレット教会は、ビゼーが洗礼を受けた教会です。

生まれたときはAlexandre-César-Léopold Bizetアレクサンドル・セザール・レオポール・ビゼーと名付けられましたが、洗礼時にGeorges Bizetジョルジュ・ビゼーに改名されました。

ノートル・ダム・ド・ロレット教会
住所 8bis Rue Choron, 75009 Paris 地図
最寄り メトロ12号線Notre-Dame-de-Loretteノートル・ダム・ドゥ・ロレット
時間
定休
料金
HP https://www.notredamedelorette.org/

※最新情報は公式サイトでご確認ください。

③オペラ・コミック座(Opéra Comique)

オペラ・コミック座の支配人Camille Du Locleカミーユ・デュ・ロクルの依頼により、ビゼーは《カルメン》の作曲に取りかかります。

1875年3月3日、オペラ・コミック劇場で初演が行われました。

今でこそ世界的に有名になったオペラですが、作られた当初は、不道徳でスキャンダラスな内容に「野蛮なオペラ」と酷評を受けました。

かわしまねる
かわしまねる
ビゼーにとって自信作であっただけに、初演の失敗は失望感に苛まれました。
オペラ・コミック座
住所 1 Pl. Boieldieu, 75002 Paris 地図
最寄り メトロ8,9号線Richelieu – Drouotリシュリュー・ドゥルオ
時間
定休
料金
HP https://www.opera-comique.com/fr

※最新情報は公式サイトでご確認ください。

④ビゼーが晩年を過ごした家

《カルメン》はパリ郊外にあるブージヴァルの家(La Maison de Georges Bizet)で作られました。

今ではビゼーの名曲として知られる《カルメン》は、初演が失敗に終わっており、失意のビゼーは初演からわずか3ヶ月後にこの家で亡くなりました。

現在この家はイブリーヌ県が所有しており、「欧州音楽センター(Le Centre Européen de Musique)」の施設となっています。

ブージヴァルの家
住所 7 Rue Yvan Tourgueneff, 78380 Bougival 地図
行き方 RER A線Saint-Germain-en-Layeサンジェルマン・アン・レー駅から259番のバスに乗り、Maison Rougeメゾン・ルージュで下車。
HP https://www.tourisme-bougival.com/visiter-bougival/maison-de-georges-bizet

※現在は欧州音楽センター(Le Centre Européen de Musique)の施設で、見学は不可。

⑤ペール・ラシェーズ墓地(Cimetière du Père-Lachaise)

パリにあるペールラシェーズ墓地パリにあるペールラシェーズ墓地

多くの著名人が眠るペール・ラシェーズ墓地は、パリ最大の規模を誇り、世界で最も有名な墓地の1つです。

この墓地にジョルジュ・ビゼーのお墓があります。

ペールラシェーズ墓地 ビゼーの墓ペールラシェーズ墓地 ビゼーの墓

ビゼーの墓碑は、オペラ座を設計したCharles Garnierシャルル・ガルニエによってデザインされたもの。36歳というあまりにも早い死でした。

詳しい情報に関しては「ペールラシェーズ墓地の行き方・営業時間・見どころ徹底ガイド」にまとめています。

ペール・ラシェーズ墓地
住所 16 Rue du Repos, 75020 Paris 地図
最寄り メトロ2号線Philippe Auguste フィリップ・オーギュスト
時間 [11月-3月中旬]
8:00-17:30(月~金)
8:30-17:30(土)
9:00-17:30(日・祝)
[3月中旬-10月]
8:00-18:00(月~金)
8:30-18:00(土)
9:00-18:00(日・祝)
定休
料金
HP https://pere-lachaise.com/

※最新情報は公式サイトでご確認ください。

ジョルジュ・ビゼーゆかりの地まとめ

ビゼーの死後、高く評価されるようになったビゼーの音楽。

オペラの中でも《カルメン》の人気は別格で、世界中で愛される名曲となりました。

36歳という若さでこの世を去ったジョルジュ・ビゼーは、音楽史に残る傑作を生み出した若き天才作曲家といえるでしょう。

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