新型コロナウイルスによる入国制限措置について

2020/7/6現在、日本からフランスへの入国制限は解除されました。外務省の危険レベルは3で、渡航中止勧告がでています。

海外旅行の予定がある方、行こうかどうか悩んでいる方は必ず外務省のHPをみてから各自判断するようにしてください。

歴史上の人物

在住者厳選!マリー・アントワネットのゆかりの地10選

日本の漫画「ベルサイユのばら」で人気を博したフランス王妃マリー・アントワネット。

フランスの一王妃に過ぎませんが、彼女の名前を知らない人はいないというぐらい有名ですね。

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マリー・アントワネットはわずか14歳で、オーストリアから敵対するフランスに嫁いできました。

国の経済を傾かせるほどの浪費ぶりから「赤字夫人」とも呼ばれ、フランス革命で断頭台の露と消えていった悲劇の王妃です。

コンシェルジュリーマリーアントワネットの肖像画コンシェルジュリーマリーアントワネットの肖像画

わずか37歳という短い生涯を閉じたマリー・アントワネット。

今回は、時代を超えて世界中の人々を魅了するマリー・アントワネットのゆかりの地をご紹介します。

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マリー・アントワネットのゆかりの地巡りのベストシーズン

フランスのベストシーズンは1年中と言っても過言ではありません。

どの季節も素晴らしいのですが、郊外のお城や宮殿もめぐるのであれば気候の良い春から秋にかけてがおすすめです。

4月~10月までは営業時間が延びる施設が多く、多くのスポットを観光することができますよ!

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マリー・アントワネットのゆかりの地10選

これからご紹介していく10の場所。マリーアントワネットがフランスに嫁ぎ、亡くなって埋葬されるまで時系列に並べました。

言わずもがな、ヴェルサイユ宮殿はマスト。比較的アクセスの良いコンシェルジュリーにもぜひ足を運んでいただきたいです。

埋葬先のサン・ドニもパリ中心部からそれほど離れていません。

おにちゃん
おにちゃん
それではパリでしばしのタイムスリップをお楽しみください。

①コンピエーニュ城(Château de Compiègne)

パリの北方約80kmに位置するコンピエーニュ城は、オーストリア皇女マリア・アントーニア(のちのマリー・アントワネット)と未来の夫となる王太子ルイ・オーギュスト(のちのルイ16世)が初めて対面した場所です。

この時マリア・アントーニアは14歳、ルイ・オーギュストは15歳でした。

コンピエーニュ城は、ルイ15世によって優美な城館へと改装されましたが、完成したのはルイ16世の治世で、フランス革命勃発により、城にあった調度品はすべて競売にかけられてしまいます。

その後、ナポレオン1世によりコンピエーニュ城は大規模な改装がされました。ナポレオン3世はこの城をとりわけ愛し、華やかな宮殿として栄華を極めます。

mari
mari
現在、コンピエーニュ城は美術館として生まれ変わっています。

第一帝政期と第二帝政期のそれぞれの部屋には、家具や調度品などが展示されています。

また乗り物博物館も併設されており、馬車や自動車などの乗り物を集めたコレクションを見ることができます。

コンピエーニュ城
住所Place du Général de Gaulle, 60200 Compiègne  地図
最寄りGare de Compiègneガールドコンピエーニュ
HPhttp://www.palaisdecompiegne.fr/
ミュージアムパスOK

②ヴェルサイユ宮殿(Château de Versaille)

ヴェルサイユ宮殿外観ヴェルサイユ宮殿外観

太陽王ルイ14世によって建てられた豪華絢爛なヴェルサイユ宮殿は、フランスの黄金時代を象徴するモニュメントです。

ここだけは絶対に外せない、マリーアントワネット巡りで最重要の場所と言っても良いでしょう。

オーストリアの女帝マリア・テレジアの11人目の娘であったマリー・アントワネットは、14歳のとき政略結婚によりフランスに嫁いできました。

おにちゃん
おにちゃん
現代では考えられないほどの若さですね・・・!

1770年5月16日、宮殿内にある王室礼拝堂で、王太子ルイ・オーギュストとマリー・アントワネットの婚礼の儀式が行われます。

当時、フランスの王室の暮らしは、宮廷中の貴族たちに公開されていました。

ヴェルサイユ宮殿マリーアントワネットの寝室(王妃の大居室)ヴェルサイユ宮殿マリーアントワネットの寝室(王妃の大居室)

ヴェルサイユ宮殿の生活はマリー・アントワネットの想像を超えるもので、目覚めから就寝まですべてが公開され、プライバシーが一切ありませんでした。

出産でさえも衆人環視のもとで行われたというから驚きです。

こうした窮屈なしきたりや暮らしにうんざりしていたマリー・アントワネットは、束縛のない自由な場所を求めるようになりました。それが安らぎの離宮プチ・トリアノンだったのです。

おにちゃん
おにちゃん
考えただけでもストレスフルな生活だったでしょうね…。

詳しい情報に関しては「世界遺産ヴェルサイユ宮殿の歴史と見どころ」にまとめています。

ヴェルサイユ宮殿
住所Place d’Armes, 78000 Versailles地図
最寄りRER C線 Versailles Château Rive Gaucheヴェルサイユ シャトー リヴ ゴーシュ
HPhttp://www.chateauversailles.fr/
ミュージアムパスOK

③プチ・トリアノン(Petit Trianon)

プチ・トリアノンは、ヴェルサイユ宮殿の敷地内にある離宮で、宮殿からは約2㎞離れた場所にあります。

もともとルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人の別邸として、建築家アンジュ=ジャック・ガブリエルの設計によって建てられたものでしたが、ルイ16世によってマリー・アントワネットに与えられました。

ヴェルサイユ宮殿の厳格な慣習や規則に縛られた生活は、マリー・アントワネットにとって息が詰まるものでした。

そのためプチ・トリアノンには、限られた人たちのみが出入りを許されました。

プチ・トリアノンでの生活は、絢爛豪華なヴェルサイユ宮殿とは違い、マリー・アントワネットの好みの家具や調度品が置かれ、堅苦しい作法や王妃という身分から解放されて、お気に入りの寵臣たちと楽しく過ごしました。

庭園には大理石の「愛の神殿(Le Temple de l’amour)」を建て、プチ・トリアノンのさらに奥には、王妃の村里と呼ばれる「ル・アモー(Le Hameau)」も作らせます。

美しい田園風景の広がる村里の中心には、王妃の家が建てられ、まさにマリー・アントワネットの楽園でした。

自由と安らぎを手に入れたマリー・アントワネットでしたが、多額の国費をつぎ込み、国民の反感を買うことになりました。

④フォンテーヌブロー宮殿(Château de Fontainebleau)

フォンテーヌブロー宮殿フォンテーヌブロー宮殿

フォンテーヌブローはイル・ド・フランスでも屈指の美しい森をもち、昔から王族の狩猟場でした。

16世紀初頭にフランソワ1世が、古い狩猟館をルネッサンス様式の美しい宮殿に改装し、それ以降、歴代の王によって増改築されたため、中世から近代までの建築様式を見ることができます。

宮殿内には、「王妃の寝室」と呼ばれる部屋があり、アンリ4世の王妃マリー・ド・メディシスからナポレオン3世の皇后ウージェニーまで歴代君主の妻たちの寝室として使われました。

王妃の寝室にある豪華なベッドは、マリー・アントワネットのために作られたものでしたが、マリー・アントワネットが使うことは一度もありませんでした。

また王妃の寝室と王の寝室の間には、王妃の私室があります。

フランス革命時に多くの家具や調度品が奪略されてしまいましたが、ナポレオンによって家具が新調され、装飾などの改装が行われました。

詳しい情報に関しては「世界遺産フォンテーヌブローの行き方・見どころ徹底ガイド」にまとめています。

フォンテーヌブロー宮殿
住所77300 Fontainebleau 地図
最寄りFontainebleau Avonフォンテーヌブロー・アヴォン
HPmusee-chateau-fontainebleau.fr

⑤チュイルリー宮殿(Palais des Tuileries)

チュイルリー宮殿は、現在のルーブル美術館(旧ルーブル宮殿)とコンコルド広場の間にあった宮殿で、王家の宮殿として使われていましたが、ヴェルサイユ宮殿が造営されてからは、しばらく放置されていました。

1789年にパリ市民が蜂起し、国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットら国王一家がパリに連れ戻されると、再びチュイルリー宮殿が王家の居所となります。

しかし、1791年に国王一家はヴァレンヌ逃亡事件を起こします。

結局、国外逃亡計画は失敗に終わり、この事件をきっかけにルイ16世の権威は失墜し、国王一家はチュイルリー宮殿で幽閉状態となりました。

1793年、パリに集結した義勇兵とサンキュロットと呼ばれる武器を持った民衆がチュイルリー宮殿を襲撃します。

宮殿は陥落し、これによりフランス王政は崩壊します。そして国王一家は、チュイルリー宮殿からタンプル塔へ移され、監禁されることになりました。

詳しい情報に関しては「チュイルリー公園の行き方・見どころ徹底ガイド」にまとめています。

チュイルリー公園
住所Place de la Concorde, 75001 Paris 地図
最寄りメトロ1号線Tuileriesチュイルリー
メトロ1,8,12号線Concordeコンコルド
HPparisinfo.com

⑥タンプル塔(Tour du Temple)

ヴァレンヌ逃亡事件により、国王一家はより警備の厳重なタンプル塔へと移されます。

12世紀にテンプル(タンプル)騎士団の本拠地のあった修道院で、建物の一部にタンプル塔と呼ばれる大きな塔がありました。

窓が小さく出入口が狭いため警備が容易であることから、チュイルリー宮殿で脱出を試みた国王一家を幽閉するのには格好の場所でした。

タンプル塔では、質素な生活と厳しい監視が付けられましたが、従者2名と侍女4名が許されていました。また監視付きとはいえ、庭の散歩もすることができました。

しかし革命はますます過激化し、1793年に国王ルイ16世がギロチンにより処刑されると、マリー・アントワネットは息子ルイ・シャルルとも離れ離れにさせられてしまいます。

そしてマリー・アントワネット自身も「死の控え室」と呼ばれていたコンシェルジュリーへと連行されていきました。

mari
mari
ナポレオン1世はこの塔を嫌い、1808年に取り壊しを命じたため現在何も残っていません。

⑦コンシェルジュリー(Conciergerie)

タンプル塔からコンシェルジュリーに移されたマリー・アントワネットは、独房から出ることは許されず、囚人として処刑されるその日までを過ごしました。

フランス革命時に王族や貴族を収容する監獄として使用されたコンシェルジュリーは、「一度収容されると生きては帰れない」と言われていました。

マリー・アントワネットの死後、ルイ18世は、彼女が収容されていた独房跡に「マリー・アントワネット記念礼拝堂」を造らせました。

また部屋の一角には、ルイ16世とルイ16世の妹「エリザベート王女」に捧げられた石碑も置かれています。

コンシェルジュリーには、マリー・アントワネットが2ヶ月半あまりを過ごした独房を再現した部屋があります。

mari
mari
マリー・アントワネットは、24時間の監視下に置かれ、1枚の衝立のみがプライバシーを守ってくれました。

1793年、コンシェルジュリーで「カーネーション事件」が起こります。

王党派であったアレクサンドル・ルージュヴィルがマリー・アントワネットの救出を試みました。

しかしそれも失敗に終わると、コンシェルジュリーでの待遇は悪くなり、ついにマリー・アントワネットは、裁判にかけられました。

マリー・アントワネットの有罪は、最初から免れないもので、死刑の判決を受けました。

コンシェルジュリーマリー・アントワネットの贖罪礼拝堂コンシェルジュリーマリー・アントワネットの贖罪礼拝堂

処刑の日の朝、マリー・アントワネットは、コンシェルジュリーの中庭から諸競馬へと向かいます。

詳しい情報に関しては「コンシェルジュリーの行き方・見どころ徹底ガイド」にまとめています。

mari
mari
日本人にはあまり有名ではありませんが、ここもマリーアントワネットの人生を語る上で欠かせない場所でしょう。
コンシェルジュリー
住所2 Boulevard du Palais, 75001 Paris 地図
最寄メトロ4号線Citéシテ
メトロ1,4,7,11,14号線Châteletシャトレ
時間9:30-18:00
定休5月1日、12月25日
料金9.5ユーロ
18歳以下無料
ミュージアムパスOK
HPhttp://www.paris-conciergerie.fr/

⑧コンコルド広場(Place de la Concorde)

コンコルド広場 噴水コンコルド広場 噴水

パリで最も有名なコンコルド広場は、かつて血なまぐさい舞台となった場所です。

フランス革命期には「革命広場」と呼ばれ、ルイ16世やマリー・アントワネットを始め、約1300人がギロチンで処刑されました。

1795年に恐怖政治が終焉すると、現在のコンコルド広場という名に改められました。広場の中央には、エジプトから贈られたオベリスクが立ち、現在はパリを代表する観光スポットの1つになっています。

処刑の日、多数の兵に取り囲まれたマリー・アントワネットの乗った荷車は、コンコルド広場へと向かいました。

途中、群衆に罵声をあびさせられても、王妃として威厳のある態度を保っていたといわれています。

1793年10月16日、コンコルド広場にて、マリー・アントワネットは37歳の生涯を閉じます。

詳しい情報に関しては「コンコルド広場の行き方・見どころ徹底ガイド」にまとめています。

コンコルド広場
住所Place de la Concorde 75001 Paris 地図
最寄りメトロ1,8,12号線Concordeコンコルド

⑨贖罪礼拝堂(Chapelle Expiatoire)

ギロチンにより処刑されたマリー・アントワネットの遺体は、マドレーヌ墓地に運ばれました。

ここにはフランス革命により処刑された人々の遺体が運び込まれ、1793年に処刑されたルイ16世の遺体もありました。

王政復古によりブルボン朝が復活すると、ルイ18世が王位につきました。

ルイ18世はマドレーヌ墓地を買い取り、兄である国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの遺体発掘を命じました。これにより、2人の遺骸は王家の霊廟であるサン・ドニ大聖堂に移されたのです。

おにちゃん
おにちゃん
現在、マドレーヌ墓地跡地には、革命の犠牲者を慎む贖罪礼拝堂が建立されています。
贖罪礼拝堂
住所29 Rue Pasquier, 75008 Paris 地図
最寄りメトロ9号線Saint-Augustinサン トギュスタン
HPhttp://chapelle-expiatoire.monuments-nationaux.fr/
ミュージアムパスOK

⑩サン・ドニ・バジリカ大聖堂(Basilique cathédrale de Saint-Denis)

サン・ドニ・バジリカ大聖堂サン・ドニ・バジリカ大聖堂

サン・ドニ・バジリカ大聖堂には、メロヴィング朝フランク王国の初代王クロヴィス1世からルイ18世までの歴代王と王妃が埋葬されています。

大聖堂内にあるサン・ルイの礼拝堂には、ルイ18世によって作られた「ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの像」があります。

フランス革命で、ギロチンにより処刑された2人の遺体は、マドレーヌ墓地に葬られていましたが、ルイ18世によりサン・ドニ・バジリカ大聖堂に遺骸が祀られました。

また大聖堂の地下には、10歳という若さで病死したマリー・アントワネットの息子ルイ・シャルル(のちのルイ17世)の心臓も収められています。

サンドニ大聖堂 ルイ17世の心臓サンドニ大聖堂 ルイ17世の心臓

詳しい情報に関しては「サンドニバジリカ大聖堂の行き方・営業時間・見どころ徹底ガイド」にまとめています。

サン・ドニ・バジリカ大聖堂
住所1 Rue de la Légion d’Honneur, 93200 Saint-Denis
最寄りメトロ13号線Basilique de Saint-Denisバジリク・ド・サン・ドニ
HPhttp://www.saint-denis-basilique.fr/en/
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マリー・アントワネットのゆかりの地まとめ

フランス宮廷を舞台に数奇な生涯を送ったマリー・アントワネット。

一国の王妃という立場をきちんと理解し、宮廷の外の世界で起きていることに関心を持っていたら、母親の女帝マリア・テレジアの助言に耳を傾けていたら、こんなにも悲惨で悲劇的な運命を変えられたかもしれません。

「不幸のうちにはじめて、自分が何者であるのかを本当に知るものです。」

ヴァレンヌ逃亡事件後、マリー・アントワネットがチュイルリー宮殿に幽閉されていたときに、愛人であったフェルセン伯爵に宛てて書かれた手紙に綴られていた言葉です。

この記事を参考にマリーアントワネットの生涯を歩き、自分の人生と比べて思いを馳せてみてください。

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