ピカソ(Pablo Picasso, 1881-1973)は、20世紀を代表する芸術家。
実はフランスではなくスペイン出身の芸術家なのですが、長い間フランスで活動していたため、フランスにはピカソゆかりの地がたくさんあります。
絵画をはじめ、彫刻や版画、陶芸など幅広い分野において活躍し、数多くの作品を残しました。
当ブログ「フランスボックス」では、20世紀最大の芸術家であるパブロ・ピカソゆかりの地をご紹介していきます。
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このページの目次
- パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)とは?
- ピカソゆかりの地巡りのベストシーズン
- ピカソゆかりの地10選
- ①パリ国立ピカソ美術館(Musée national Picasso Paris)
- ②パリ市立近代美術館(Musée d’Art Moderne de la Ville de Paris)
- ③国立近代美術館(Musée National d’Art Moderne)
- ④モンマルトル(Montmartre)
- ⑤ローラン・プラッシュ広場(Square Laurent Prache)
- ⑥ピカソのアトリエだった場所(7 Rue des Grands Augustins)
- ⑦ピカソ美術館(Musée Picasso)
- ⑧国立ピカソ美術館(Musée national Pablo Picasso)
- ⑨ヴォーヴナルグ城(Château de Vauvenargues)
- ⑩ムージャン(Mougins)
- ピカソゆかりの地まとめ
パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)とは?
パブロピカソ(Pablo Picasso) | |
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出没年 | 1881年10月25日-1973年4月8日 91歳で肺水腫により死去 |
様式・流派 | キュビズム、シュールレアリズム |
出身 | スペイン(マラガ) |
代表作 | 《ゲルニカ》ソフィア王妃芸術センター 《アビニョンの娘たち》ニューヨーク近代美術館 《泣く女》テート・モダン |
影響を受けた人物 | ベラスケス、セザンヌ、ロートレック、エドガードガ |
影響を与えた人物 | ジャンメッツァンジェ、アルベールグレーズ、マリーローランサン、フアングリス、フェルナンレジェ、ジャクソンポロック、岡本太郎 |
幼少期
パブロ・ピカソは、1881年にスペイン南部アンダルシア地方の港街マラガで誕生しました。
マラガはコスタ・デル・ソル(太陽の海岸)の中心地で、リゾート地としても有名な場所です。
美術教師の父の指導のもと、ピカソは幼少期から絵の才能を発揮し、バルセロナの美術学校で本格的に絵画制作を始めます。
1897年に描いた《科学と慈愛》は、マラガの地方展で金賞、マドリードで開かれた国展で佳作を受賞しています。
青の時代(1901年〜1904年)
1900年にピカソはパリを訪れ、あらゆる様式の芸術に触れていきます。
1901年に親友カルロス・カサジェマス(カサヘマス)を自殺で失ったことをきっかけに、青を基調とした作品を制作しています。
この時期のスタイルは、「青の時代」と呼ばれ、重く沈んだトーンの絵が特徴です。
生と死、貧困といった主題に打ち込み、盲人や娼婦、乞食など社会の底辺に生きる人々をよく題材にして描きました。
バラ色の時代(1904年〜1906年)
1904年、ピカソはモンマルトルにあった「バトー・ラヴォワール(洗濯船)」に移り住み、アトリエを構えました。
そこでフェルナンド・オリビエに出会い、作品にも変化が現れます。
暖かで、明るい色彩になり、「バラ色の時代」へと移行します。
フェルナンドは、《化粧》や《人の裸婦》などのモデルになっています。
アフリカ彫刻の時代(1907〜1909年)
1907年、ピカソは《アヴィニョンの娘たち》を制作します。「キュビスムの原点」と呼ばれる作品で、アフリカ彫刻の影響を受けた作品です。
描かれた当時、この作品は芸術仲間たちに全く受け入れてもらえず、大変な物議を醸しましたが、近代美術に大きな影響を与えた作品で、ニューヨーク近代美術館に所蔵されています。
キュビスムの時代(1909年〜1916年)
1909年からはいよいよ「キュビスム(立体主義)時代」の作品の登場です!
この時期の作品は、20世紀の絵画に革命をもたらしました。
はじめは酷評を受けていましたが、次第に評価が高まり、ピカソの作品に衝撃を受けたフランスの画家ジョルジュ・ブラックは、ピカソと共同でキュビスムの研究を行いました。
ピカソとジョルジュ・ブラックは、「キュビスムの創始者」といわれています。
新古典主義の時代(1917年〜1924年)
1917年、ピカソはジャン・コクトーの依頼で、「ロシア・バレエ団」の美術・衣装を担当。
そこでバレエダンサーのオルガ・コクローヴァと知り合います。
パリ国立ピカソ美術館に所蔵されている《肘掛け椅子に座るオルガの肖像》は、ピカソの最初の妻となったオルガ・コクローヴァの肖像画で、ロシア貴族出身だったオルガにより、ピカソも上流階級との交流を深めていきました。
この時期、イタリアを旅行したピカソは、ギリシャやローマ時代などの古典美術に触れ、大きな影響を受け、新たな手法として新古典主義スタイルを打ち出しました。
またこの頃、オルガとの間に生まれた子供と妻をモデルに、「母と子」を主題にした作品を多く制作しています。
シュルレアリスム(超現実主義)の時代(1925年〜1936年)
1924年にシュルレアリスムの生みの親であるアンドレ・ブルドンによって始まった芸術運動に影響されたピカソは、非現実的な人物や世界を描くようになりました。
晩年
1937年4月、内戦状態にあったスペインで、反政府側のフランコ軍を支援するナチス・ドイツ軍がスペイン北部バスク地方の街「ゲルニカ」に無差別空爆「ゲルニカ爆撃」をしました。
ちょうどその頃、ピカソはパリ万国博覧会のスペイン館に飾る絵をスペイン政府から依頼されていました。
もともと政治とは無関係の壁画を考えていたピカソでしたが、この爆撃に衝撃を受け、ピカソは戦争の悲惨さを訴えた「ゲルニカ」をテーマに描くことにしました。
この世界的に名高い作品《ゲルニカ》は、現在マドリードのソフィア王妃芸術センターに展示されています。
晩年においてもピカソの創作意欲は衰えることなく、絵画はもちろん、彫刻や陶器など数多くの作品を残しています。
女性問題
ピカソは稀代のプレイボーイ。結婚は2回、3人の女性と4人の子供をつくっています。
中でも特に重要な7名の女性については多くの方が記事で取り上げているほど。
わたしもゴシップレベルの情報しか知りませんが、映画3本分くらいになりそうなひどい恋愛遍歴。
世紀の天才芸術家に聖人君主を求めても仕方ありませんが、若い愛人が命を絶つほどの接し方だったのかと思うとピカソちょっと許せませんね!
ピカソの恋人だったエヴァ・グエルは30歳で結核により死亡。
最初の妻オルガ(1955年に癌で死亡)との間にできた息子パウロは薬物中毒で死亡。パウロの息子(ピカソの孫)は自殺。
愛人マリー・テレーズは1977年68歳で自殺。
愛人ドラ・マールはピカソに新しい愛人ができ破局。情緒不安定になり精神病院へ。
2番目の妻ジャクリーヌは、1986年59歳で自殺。
作品は常に人格とは切り離して考えるべき。という話は有名ですがピカソ作品を観る時は特にその言葉を思い出します。
ピカソゆかりの地巡りのベストシーズン
フランスのベストシーズンは1年中と言っても過言ではありません。
どの季節も素晴らしいのですが、郊外や街歩きを楽しみたいなら気候の良い春から秋にかけてがおすすめです。
4月~10月までは営業時間が延びる施設が多く、多くのスポットを観光することができますよ!
美術館だけがお目当てであれば、あえて、オフシーズンでリーズナブルな冬の期間も良いと思います。
ピカソゆかりの地10選
①パリ国立ピカソ美術館(Musée national Picasso Paris)
パリのマレ地区にある「パリ国立ピカソ美術館」の建物は、もともと17世紀の塩の徴税請負人の館で、「サレ館(Hôtel Salé)」と呼ばれていました。
歴史的建造物に指定されたこの館を改造し、1985年にパリ国立ピカソ美術館として開館。
所蔵されている5,000点以上もの作品のほとんどは、ピカソの死後、相続税と引き換えに遺族からフランスに寄贈されたものです。
一人の画家の美術館としては世界最大の規模を誇ります。
ピカソの初期から晩年までの作品が揃い、時代を追いながら作品を鑑賞していくことができます。
キュビスムのきっかけとなった原寸大のタペストリー《アヴィニョンの娘たち》も展示されています。
売春婦をテーマに用い、独特な作風で描き上げたこの作品は、当時フランスのアート界を騒がせたスキャンダラスな作品でした。
またピカソは、写真家で愛人でもあったドラ・マールのポートレートをたくさん描いています。
ドラ・マールを描いた作品の中でも有名な《ドラ・マールの肖像》と《泣く女》など興味深い作品が展示されています。
美術館内には、アルベルト・ジャコメッティの弟ディエゴ・ジャコメッティがデザインしたシャンデリアや椅子などの家具が置かれており、クラシックな内装にモダンなインテリアが融和した独特の空間を楽しむことができます。
ピカソ美術館 | |
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住所 | 5 Rue de Thorigny, 75003 Paris 地図 |
最寄り | メトロ8号線Saint-Sebastien-Froissart駅 メトロ1号線St-Paul駅 |
時間 | 10:30-18:00(火~金) 9:30-18:00(土・日・祝日) |
定休 | 毎週月曜日 5月1日、12月25日、1月1日 |
料金 | 16ユーロ 18歳未満無料 ミュージアムパスOK |
HP | https://www.museepicassoparis.fr/fr |
※最新情報は公式サイトでご確認ください。
②パリ市立近代美術館(Musée d’Art Moderne de la Ville de Paris)
パリ市立近代美術館は、1937年のパリ万国博覧会の日本館として建てられた「パレ・ド・トーキョー(Palais de Tokyo)」の東棟にある美術館。
小規模ながら、20世紀美術を代表するアーティストの作品を所蔵しており、キュビスムのピカソやブラック、フォーヴィスムのマティス、エコール・ド・パリのモディリアーニなどの作品が展示されています。
パリ市立近代美術館に所蔵されている《カサジェマスの埋葬》は、ピカソの親友であったカサジェマスの死に深い哀しみと精神的なショックを受けて描いた作品です。
パリ市立近代美術館 | |
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住所 | 11 Avenue du Président Wilson, 75116 Paris 地図 |
最寄り | メトロ9号線Alma-Marceau駅 |
時間 | – |
定休 | 1月1日、5月1日、11月1日、12月25日 |
料金 | 7-13ユーロ 18歳未満無料 |
HP | https://www.mam.paris.fr/ |
※最新情報は公式サイトでご確認ください。
③国立近代美術館(Musée National d’Art Moderne)
ポンピドゥー芸術文化センター内にある国立近代美術館は、20世紀から現代までの近代美術作品が所蔵されたパリ三大美術館のひとつ。
マティスを中心としたフォーヴィスムやピカソやブラックを中心としたキュビスム、ほかにも抽象派、エコール・ド・パリ、シュルレアリスム、ポップアート、ヌーヴォー・レアリスムなど、有名画家の傑作が展示されています。
ピカソの作品は、《ミューズ》、《女性の肖像》、《アルルカン》、《アヴィニョンの娘たちの習作》などが展示されています。
ポンピドゥー芸術文化センター | |
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住所 | Place Georges-Pompidou, 75004 Paris 地図 |
最寄り | メトロ11号線Rambuteau駅、 メトロ1,11号線Hôtel de Ville駅 メトロ1,4,7,11,14番線Châtelet駅 |
時間 | 11:00-21:00 ※12月24日、12月31日は19:00まで |
定休 | 毎週火曜日、5月1日 |
料金 | 15ユーロ 18歳未満無料 ミュージアムパスOK |
HP | https://www.centrepompidou.fr/ |
※最新情報は公式サイトでご確認ください。
④モンマルトル(Montmartre)
パリの北に位置するモンマルトルは、ピカソやマネ、Pierre Auguste Renoir、Paul Cézanne、Claude Monet、モディリアーニなどたくさんの芸術家たちが集まった界隈です。
絵を学ぶためパリにやってきたアーティストの卵たちは、モンマルトルを目指しました。その中には、スペインからやってきたピカソもいました。
ピカソは、1904年からエミール・グード広場にある「Bateau-Lavoir(洗濯船)」と呼ばれる集合アトリエに住みました。
この建物は1970年の火災で焼失されてしまいましたが、ピカソはここで名作《アヴィニョンの娘たち》(ニューヨーク近代美術館所蔵)を描き、キュビスムの基礎を築きました。
バトー・ラヴォワール(洗濯船)だった場所 | |
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住所 | 13 Rue Ravignan, 75018 Paris 地図 |
最寄り | メトロ12号線Abbesses駅 |
※1970年の火災で焼失
⑤ローラン・プラッシュ広場(Square Laurent Prache)
サン・ジェルマン・デ・プレといえば、1930年代後半、モンパルナスに代わってパリの芸術の中心地となった場所です。
「Les Deux Magots」や「Café de Flore」は、芸術家、哲学者、小説家などが集まり、芸術談義に華を咲かせた場所です。
レ・ドゥ・マゴの目の前には、パリ最古の教会サンジェルマン・デ・プレ教会。
教会のシンボルでもある鐘楼は、ロマネスク様式の貴重な建築物です。
教会の隣には、うっかりすると見逃してしまいそうな小さな広場「ローラン・プラッシュ広場(Square Laurent Prache)」があり、《女性の顔 Tête de femme》と名付けられたピカソ作の彫像が立っています。
パリ市によってギヨーム・アポリネールに捧げられた《Guillaume Apollinaireへの敬意》と題された彫像のモデルは、写真家でピカソの愛人であったDora Maarです。
詩人で美術評論家だったギヨーム・アポリネールは、ピカソやブラックのキュビスムを擁護し、美術史上に大きな影響を与えた人物です。
ローラン・プラッシュ広場 | |
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住所 | 1 Pl. Saint-Germain des Prés, 75006 Paris 地図 |
最寄り | メトロ4号線Saint-Germain-des-Prés駅 |
⑥ピカソのアトリエだった場所(7 Rue des Grands Augustins)
グラン・オーギュスタン通り7番地は、ピカソが1936年から1955年まで住み、アトリエとして使っていた場所。
1937年にピカソの代表作である《ゲルニカ》もここで描かれました。
建物の入り口には、それを示すプレートが掲げられています。またここは、フランスの文豪バルザックの小説《知られざる傑作》の舞台になった場所だそうです。
ピカソのアトリエだった場所 | |
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住所 | 7 Rue des Grands Augustins, 75006 Paris 地図 |
最寄り | メトロ4号線Saint-Michel Notre-Dame駅 |
※プレートのみ
⑦ピカソ美術館(Musée Picasso)
フランス南部の地中海沿いの街「Antibes」は、ピカソゆかりの地として知られています。
海岸沿いにあるピカソ美術館は、かつてピカソがアトリエとして使っていた場所で、現在はピカソ美術館になっています。
1946年、アンティーブの隣町ゴルフ・ジュアンに滞在していたピカソは、大きなアトリエを探していました。
それを聞きつけたアンティーブ市は、市の美術館であったグリマルディ城の一室をピカソに提供します。
こうしてピカソは美しい地中海を見渡せるグリマルディ城にアトリエを構え、創作に励みました。
ピカソは、2ヶ月間の滞在中に創作した作品のほとんどをアトリエに残しました。
1966年、アンティーブ市はピカソの栄誉を称え、グルマルディ美術館からピカソ美術館に改名し、世界で初めてのピカソ美術館が誕生しました。
ちなみにピカソのアトリエを美術館にしたのは世界でもここだけです!
のちにピカソはヴァロリスに移り住みますが、そこで制作した陶芸作品とピカソの2番目の妻から寄贈された作品も加わり、見応えのある美術館になっています。
アンティーブのピカソ美術館は、ピカソの作品のほかにもニコラ・ド・スタールなどの近代・現代アート作品も多く収蔵されています。
ピカソ美術館 | |
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住所 | Place mariejol, 06600 Antibes 地図 |
行き方 | パリからアンティーブまで飛行機で行く場合、パリのオルリー空港からニース空港まで約1時間30分。ニース・コートダジュール空港からアンティーヴまで、空港バス250番で約20分。バス停からピカソ美術館まで徒歩約5分。 |
時間 | 10:00-13:00 / 14:00-18 :00(9月16日-6月14日) 10:00-18:00(6月15日-9月15日) |
定休 | 月曜日、1月1日、5月1日、11月1日、12月25日 |
料金 | 8ユーロ 18歳未満無料 |
HP | https://www.antibes-juanlespins.com/culture/musee-picasso |
※最新情報は公式サイトでご確認ください。
⑧国立ピカソ美術館(Musée national Pablo Picasso)
1948年、ピカソはコート・ダジュールのヴァロリスに移住。
古くから陶芸の街として知られ、ピカソはここで陶芸の制作に打ち込みます。
ヴァロリス城は、12世紀に建てられた修道院を16世紀にルネサンス様式の城館に改築した建物で、「国立ピカソ美術館」はその中にあります。
「戦争と平和 国立ピカソ美術館」とも呼ばれており、城内には「陶芸博物館」と「アルベルト・マニエリ美術館」も入っています。
この壁画は、ピカソの70歳の誕生日を祝福してくれた街の人々への感謝の印として、1952年にピカソが制作したものです。
またヴァロリス城前にある広場には、ピカソが街に寄付したブロンズ像《羊を抱えた男》が立っています。
国立ピカソ美術館 | |
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住所 | Place de la Libération, 06220 Vallauris 地図 |
行き方 | ニース・コートダジュール空港からヴァロリスまで、空港バス250番で約25分。バス停から国立ピカソ美術館まで徒歩約10分。 |
時間 | 10:00-12:15 / 14:00-17:00 (但し12/24と12/31は16:00まで) |
定休 | 火曜日、1月1日、5月1日、11月1日、12月25日 |
料金 | 6ユーロ 18歳未満無料 |
HP | https://musees-nationaux-alpesmaritimes.fr/picasso/ |
※最新情報は公式サイトでご確認ください。
⑨ヴォーヴナルグ城(Château de Vauvenargues)
1959年から1961年までの間、ピカソはAix-en-Provenceのヴォーヴナルグ城に住みました。
エクサンプロヴァンスは、「近代絵画の父」と呼ばれるフランス人画家セザンヌの生まれ故郷で、セザンヌの作品にはサント・ヴィクトワール山」がたくさん描かれています。
セザンヌを師と仰ぐピカソにとってこのサント・ヴィクトワール山は思い入れのある場所でした。
ピカソはこの山の麓にあるヴォーヴナルグ城と土地を購入し、妻ジャクリーヌに捧げます。
1973年4月8日、ピカソはコート・ダジュールのムージャンでこの世を去ります。
ジャクリーヌは、ピカソの遺骸をムージャンではなく、このヴォーヴナルグ城の敷地に埋葬。
そしてピカソの死から13年後、ジャックリーヌもまたピカソの眠る墓に埋葬されました。
ヴォーヴナルグ城 | |
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住所 | 4 Rue René Nicol, 13126 Vauvenargues 地図 |
※残念ながら、現在は一般公開されていません。
⑩ムージャン(Mougins)
コート・ダジュールには、「鷲の巣村」と呼ばれる切り立った崖や岩山の上に造られた集落が点在しています。
ムージャンもその1つで、丘の頂からはカンヌ湾とレランス諸島を見下ろすことができます。
ムージャンは数々の著名人が移り住んだ街で、パブロ・ピカソもその1人でした。
ピカソは、亡くなるまでの晩年12年間をムージャンで2番目の妻ジャックリーヌ・ロックと共に過ごしました。
旧邸宅の隣には、歴史的建造物に指定されたノートルダム・ド・ヴィ礼拝堂(Chapelle Notre-Dame de Vie)もあります。
ピカソの死後、この邸宅を相続した妻ジャックリーヌが住んでいましたが、1986年にピストル自殺。
その後、この邸宅はしばらく放置されていましたが、競売にかけられ、現在は新しい所有者の私有地になっています。
ノートルダム・ド・ヴィ礼拝堂 | |
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住所 | 501-869 Chemin. de la Chapelle, 06250 Mougins 地図 |
行き方 | ニース・コートダジュール空港からムージャンまで、空港バスA230番。バスステーション・ソフィア(Sophia-Gare Routière)でバス650番に乗り換え。所要時間約20分。ムージャンから旧市街までは徒歩約10分。 |
時間 | 10:00-12:30 / 14:00-19:00(7月・8月) 10:00-12:30 / 14:00-19:00(5月・6月・9月の週末) 10:00-16:00(10月から4月までの日曜日) |
定休 | なし |
料金 | 無料 |
HP | – |
ところでムージャンは、「美食の街」としても知られています。
「Le Moulin de Mougins」は、1974年にミシュランガイドの3つ星を獲得し、アラン・デュカスやジャック・マキシマムなどが働いたフランスきっての名店。
ピカソもこのレストランの常連客だったとか。
毎年、ムージャンではLes Etoiles de Moujinsという「美食の祭典」が開かれています。
ル・ムーラン・ド・ムージャンの初代シェフのロジェ・ヴェルジェ氏の功績を称え、2006年から南仏のシェフたちが集まって始められたイベントで、街全体が会場になって繰り広げられるお祭りです。
レストラン「ル・ムーラン・ド・ムージャン」 | |
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住所 | 1028 Avenue Notre Dame de Vie 06250 Mougins 地図 |
行き方 | ニース・コートダジュール空港からムージャンまで、空港バスA230番。バスステーション・ソフィア(Sophia-Gare Routière)でバス650番に乗り換え。所要時間約20分。ムージャンから旧市街までは徒歩約10分。 |
時間 | 19:00- |
定休 | 日曜日 |
HP | http://lemoulindemougins.com/ |
※最新情報は公式サイトでご確認ください。
ピカソゆかりの地まとめ
20世紀の天才芸術家といわれたパブロ・ピカソは、作風がめまぐるしく変化した画家でした。
超人的な創造力で膨大な作品を制作し、その才能は絵画にとどまらず、彫刻、版画、陶芸など多岐にわたっています。
晩年になっても創作意欲は衰えず、数々の作品を残したピカソ。多様な芸術スタイルを持ち合わせたたぐいまれな芸術家だったといえるでしょう。
現実では友人や愛する女性など多くの死が彼の周りを取り巻きましたが、それを振りほどくかのような制作のエネルギーを感じました。
ピカソの作品は、理解するより感じることのできるものが多いので、アート初心者の方にもぜひ楽しんでいただきたと思います!
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当ブログ「フランスボックス」ではパリ在住者が教えるホテルの選び方と安全でコスパの良いおすすめエリアでホテルに関する注意点や知っておきたい情報をまとめました。
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ココシャネルやダイアナ妃にも愛されたパリに行くすべての人達が憧れる、フランス最高峰のホテルで、サービス、食事、設備どれをとっても申し分なく、私にとって人生最高の滞在でした。
かなり高額な宿泊代とはなりましたが、一生の思い出に1泊だけ泊まることができ悔いありません。
ヴァンドーム広場が目の前で、オペラ座までも500mと観光するにも抜群の立地。
絶対に忘れられない滞在になること間違いなしなので1泊だけでもぜひ検討してみてください!