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レオナルドダヴィンチゆかりの地と美術館を巡るフランス旅!パリ・ロワールで見られる代表作品と画家の生涯【出没年・墓地】

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マリ@旅ブロガー オハヨーツーリズム
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ボンジュー!フランスボックスのマリ(@mari_ohayotourism)です。

《モナ・リザ》《最後の晩餐》で知られるレオナルド・ダ・ヴィンチは、ルネサンス期を代表する芸術家です。

もしかしたらダ・ヴィンチについて画家だと認識している方もいるかもしれません。

しかし彼は絵画、彫刻、建築、音楽、天文学、幾何学、解剖学、物理学、地質学、生理学などあらゆる分野で顕著な業績を残し、発明家としても活躍しました。

人生の大半を母国イタリアで過ごしましたが、晩年はフランス国王フランソワ1世に招かれフランスに渡り、クロ・リュセ城がレオナルド・ダ・ヴィンチの終焉の地となりました。

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大学時代にダ・ヴィンチ・コードが大流行して、まんまとダ・ヴィンチの魅力にハマってしまい、イタリア、フランスゆかりの地を周ってきました。

当ブログ「フランスボックス」では、そんなルネサンスを代表する三大巨匠の1人レオナルド・ダ・ヴィンチゆかりの地を案内します。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)とは?

レオナルドダヴィンチ《自画像 L'Autoritratto di Leonardo da Vinci》トリノ王立図書館レオナルドダヴィンチ《自画像 L’Autoritratto di Leonardo da Vinci》トリノ王立図書館
レオナルドダヴィンチ(Leonardo da Vinci)
出没年 1452年4月15日-1519年5月2日 67歳で死去
様式・流派 盛期ルネサンスから初期マニエリスム
出身 イタリア(フィレンツェ郊外のヴィンチ村)
代表作 《モナ・リザ》ルーブル美術館
《最後の晩餐》サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
《ウィトルウィウス的人体図》アカデミア美術館
影響を受けた人物 アンドレアデルヴェロッキオ

幼少期から学生時代

レオナルド・ダ・ヴィンチは、イタリアのヴィンチ村アンキアーノで1452年4月15日、公証人であったPiero da Vinciピエーロ・ダ・ヴィンチCaterina di Meo Lippiカテリーナ・ディ・メオ・リッピの間に婚外子として誕生。

Piero da Vinciピエーロ・ダ・ヴィンチは、フィレンツェの裕福な公証人(今でもイタリアではなんだかんだステイタスのある職業。notaio e farmacista)で富と名誉のある身分。

Caterinaカテリーナは貧しい出自でその人生の多くは不明です。

母親はレオナルドの出産後、相応の身分の人と結婚し5人の子供をもうけています。

一方父ピエロは1452年にすぐアルビエーラという名の女性と正式に結婚したものの妻は若くして亡くなったので再婚、また亡くなり再婚…を繰り返し4度も結婚しています。

その間に生まれた兄弟姉妹の数は少なくとも16人。ただレオナルドと一番年齢が近い弟で24歳の歳の差というあまりにも複雑な家庭環境。

こういった環境もレオナルドの人生に影響を与えます。

父ピエロは1462年にはヴィンチ村よりフィレンツェに居住して仕事を始め、レオナルドも1470年頃にフィレンツェへ。

芸術キャリア

当時最も名のある工房の一つであったAndrea del Verrocchioアンドレア・デル・ヴェロッキオの元で修行を開始しています。

mari
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工房に入った時期については諸説ありますが1462年ではなくそれ以降というのが有力。

1472年に芸術家のギルド”サン・ルーカ”に登録、画家として独立をしますが、師匠ヴェロッキオとの共同制作は後述するようにしばらく続きます。

その後は1482年までフィレンツェで制作。1982年の春から夏にかけての間にミラノへ移動しスフォルツァ家の宮廷画家に。

レオナルド・ダ・ヴィンチ《最後の晩餐》サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院レオナルド・ダ・ヴィンチ《最後の晩餐》サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院

ミラノ公Ludovico Sforzaルドヴィーコ・スフォルツァの依頼でサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の壁に描いた《最後の晩餐》は、レオナルド・ダ・ヴィンチの代表作の1つとなりました。

ミラノ滞在期間中、レオナルド・ダ・ヴィンチはミラノ大聖堂のドームやパヴィア大聖堂の設計、舞台装置のデザイン、宮廷舞台劇の演出などもしました。

また土木、建築、機械工学、数学などあらゆる分野の研究し、膨大な手稿を残しています。

1499年、フランス軍の侵攻によりミラノ公ルドヴィーコ率いるミラノ軍が敗北すると、レオナルド・ダ・ヴィンチは弟子たちとともにヴェネツィアへ避難し、1500年にフィレンツェに帰還。

その後、教皇アレクサンデル6世の息子Cesare Borgiaチェーザレ・ボルジアの軍事土木技師として従軍し、ヴェッキオ宮殿(フィレンツェ市庁舎)の大会議室を飾る大壁画《アンギアーリの戦い》を手がけましたが、こちらは途中で制作が中断しています。

1480年から1516年にかけて、レオナルド・ダ・ヴィンチはいくつかの代表作品を描いています。

レオナルド・ダ・ヴィンチ《ウィトルウィウス人体図》アカデミア美術館レオナルド・ダ・ヴィンチ《ウィトルウィウス人体図》アカデミア美術館

理想的な人体のプロポーションを表現したドローイングの《ウィトルウィウス人体図》は、古代ローマ時代の建築家Vitruviusウィトルウィウス《建築論》から着想を得て描かれました。

またルーブル美術館へ所蔵されているイタリア・ルネッサンスの最高傑作《モナ・リザ》は、世界で最も高額の絵画といわれています。

フランスへ

1516年、レオナルド・ダ・ヴィンチはフランス国王フランソワ1世に招かれ、フランスに渡ります。

国王の居城であったアンボワーズ城近くのクロ・リュセ城が与えられ、そこで最後の3年間を過ごしました。

レオナルド・ダ・ヴィンチ《洗礼者聖ヨハネSan Giovanni Battista》ルーブル美術館レオナルド・ダ・ヴィンチ《洗礼者聖ヨハネSan Giovanni Battista》ルーブル美術館

イタリアを去る際、レオナルド・ダ・ヴィンチは《モナ・リザ》、《洗礼者聖ヨハネ》、《聖アンナと聖母子》の3作品をフランスへ持ってきました。

レオナルド・ダ・ヴィンチ《聖アンナと聖母子Sant'Anna, la Vergine e il Bambino con l'agnellino》ルーブル美術館レオナルド・ダ・ヴィンチ《聖アンナと聖母子Sant’Anna, la Vergine e il Bambino con l’agnellino》ルーブル美術館

現在、この3つの絵画はルーブル美術館に所蔵されており、クロ・リュセ城の大広間で《モナ・リザ》《洗礼者聖ヨハネ》のレプリカを見ることができます。

1519年5月2日、レオナルド・ダ・ヴィンチは67歳でこの世を去りました。

その翌年1520年にはRaffaelloラファエロも37歳の若さで亡くなっています。

それに対してミケランジェロは1564年88歳までご健在。

ルネサンスの巨人と呼ばれる人たちも、制作時期とそれぞれの時期の情勢などを合わせて見ていくと、また異なった面白さが見えてくるはずです。

レオナルド・ダ・ヴィンチゆかりの地ベストシーズン

フランスのベストシーズンは1年中と言っても過言ではありません。

どの季節も素晴らしいのですが、ロワール地方を散策するなら気候の良い春や秋がおすすめです。

4月~10月までは営業時間が延びる施設が多く、多くのスポットを観光することができますよ!

美術館が中心であえれば、あえて空いている冬の期間を狙うのもおすすめです。

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レオナルド・ダ・ヴィンチゆかりの地

ルーブル美術館(Musée du Louvre)

閉館直前ライトアップされた夜のルーブル美術館閉館直前ライトアップされた夜のルーブル美術館

世界最大級の規模を誇るフランスの国立美術館「ルーブル美術館」は、先史時代から19世紀までのさまざまな美術品が所蔵されたパリ三大美術館の1つ。

パリ屈指の観光スポットで、年間入館者数も世界一を誇ります。

そんなルーブル美術館が所蔵する作品で最も有名な絵画といえば、レオナルド・ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》で間違いないでしょう。

mari
mari
ルーブルどころか世界一有名な絵画かもしれませんね。
レオナルド・ダ・ヴィンチ《デル・ジョコンドの肖像 Portrait de Lisa Gherardini, épouse de Francesco del Giocondo》ルーブル美術館レオナルド・ダ・ヴィンチ《デル・ジョコンドの肖像 Portrait de Lisa Gherardini, épouse de Francesco del Giocondo》ルーブル美術館

レオナルド・ダ・ヴィンチは、Sfumatoスフマートという陰影技法を用い、描かれた女性がまるで生きているかのように描いています。

謎めいた雰囲気の女性が微笑みを浮かべる《モナ・リザ》のモデルとなった女性は、Francesco del Giocondoフランチェスコ・デル・ジョコンドの妻であるLisa del Giocondoリザ・デル・ジョコンドといわれています。

レオナルド・ダ・ヴィンチの死後、レオナルド・ダ・ヴィンチの弟子であった通称salaìサライが《モナ・リザ》を含めた複数の絵画作品を相続しました。

その後フランソワ1世が購入し、現在はフランスの国有財産となり、パリのルーブル美術館に展示されています。

ルーブル美術館
住所 Rue de Rivoli, 75001 Paris 地図
最寄り メトロ1号線,7号線Palais-Royal-Musée du Louvreパレ・ロワイヤル ミュゼ・デュ・ルーヴル
時間 9:00-18:00(月・水・木・土・日)
9:00-21:45(金)
※閉館時間の45分前まで入場可能
定休 毎週火曜日、1月1日、5月1日、12月25日
料金 22ユーロ
18歳以下無料
ミュージアムパスOK
HP https://www.louvre.fr/
チケット ルーブル美術館のチケット

※最新情報は公式サイトでご確認ください。

アンボワーズ城(Château Royal d’Amboise)

アンボワーズ城アンボワーズ城

アンボワーズ城は、ユネスコ世界遺産に登録されたロワール渓谷の古城の1つ

ゴシック様式とルネッサンス様式が折衷した美しいお城で、歴代フランス国王の居城として愛されました。

フランソワ1世の時代には最盛期を迎え、ルネサンスの発祥の地として栄えました。

1515年、フランソワ1世はミラノを占領し、スフォルツァ家を追放。

そしてスフォルツァ家に仕えていたレオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに招き、アンボワーズ城近くにあるクロ・リュセ城を与えました。

レオナルド・ダ・ヴィンチは1519年に死去し、遺骸はアンボワーズ城の敷地内にあるサン・ユベール礼拝堂(Chapelle Saint-Hubert)に埋葬されました。

詳しい情報に関しては「アンボワーズ城の行き方・営業時間・見どころ徹底ガイド」にまとめています。

アンボワーズ城
住所 Montée de l’Emir Abd el Kader, 37400 Amboise 地図
行き方 パリのMontparnasseモンパルナス駅からTGVとTERを乗り継ぎ、アンボワーズ駅(Gare d’Amboiseガールアンボワーズ)で下車し、徒歩17分。所要時間は約2時間半。
時間 月ごとに異なる
公式サイトに詳細あり
定休 1月1日、12月25日
料金 16.4ユーロ
7歳未満無料
HP https://www.chateau-amboise.com/fr/

※最新情報は公式サイトでご確認ください。

クロ・リュセ城(Château du Clos Lucé)

クロ・リュセ城クロ・リュセ城

アンボワーズ城から500mほど離れた場所に、レオナルド・ダ・ヴィンチが晩年を過ごした「クロ・リュセ城」があります。

当時のままの姿で残され、ユネスコの世界遺産に登録されています。

1516年、レオナルド・ダ・ヴィンチはフランソワ1世に招かれ、フランスに渡ります。

クロ・リュセ城が与えられ、国王の手厚い庇護のもと、レオナルド・ダ・ヴインチは亡くなるまでの3年間をこの城で過ごしました。

クロ・リュセ城クロ・リュセ城

《モナ・リザ》《洗礼者聖ヨハネ》のレプリカが展示された大広間をはじめ、数々の発明品を生み出した仕事部屋、息を引き取った寝室など、レオナルド・ダ・ヴインチの当時の暮らしを偲ばせてくれます。

またクロ・リュセ城の敷地内にあるレオナルド・ダ・ヴィンチパーク(Parc Leonardo da Vinci)は、プロペラ機の実物大模型や戦車、大砲、機関銃などの野外展示が行われ、実際に触れて体感できるカルチャーパークになっています。

レオナルド・ダ・ヴィンチパーク(Parc Leonardo da Vinci)レオナルド・ダ・ヴィンチパーク(Parc Leonardo da Vinci)
mari
mari
ここは本当におもしろくて、子供のように楽しみました。

詳しい情報に関しては「クロ・リュセ城の行き方・営業時間・見どころ徹底ガイド」にまとめています。

クロ・リュセ城
住所 2 Rue du Clos Lucé, 37400 Amboise 地図
行き方 パリのオステルリッツ駅(Gare d’Austerlitzガール・ドステルリッツ)からTGVでアンボワーズ駅(Gare d’Amboiseガール・ダンボワーズ)で下車し、徒歩約25分。所要時間約2時間。
時間 月ごとに異なる
公式サイトに詳細あり
定休 1月1日、12月25日
料金 19ユーロ
HP https://vinci-closluce.com/fr

※最新情報は公式サイトでご確認ください。

レオナルド・ダ・ヴィンチゆかりの地まとめ

「飽くなき探究心」と「尽きることのない独創性」を兼ね備え、「万能の天才」と呼ばれたレオナルドダビンチ。

彼の才能は芸術面だけにとどまらず、機械工学の構想や世界初の詳細な人体解剖図の作成、動脈硬化の発見など、幅広い分野で活躍しました。

鏡文字で書かれた手稿を残し、ミステリアスな部分も多く伝わっており、現在に至るまで人々を魅了し続けています。

ぜひイタリアとセットでダ・ヴィンチゆかりの地を巡ってみてください!

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