カミーユ・サン・サーンスは、フランスのロマン派作曲家で、ピアニスト・オルガニスト・指揮者と多岐にわたって活躍した人物です。
幼い頃から音楽の才能を発揮し、若くして作曲家としての頭角を表しましたが、サン・サーンスの古典的な音楽は時代に合わず、評価されるまでに時間がかかりました。
代表曲として「動物の謝肉祭」や「交響曲第3番(オルガン付き)」などがあります。
交響曲にオルガンを入れるという画期的なアイデアで、音楽史に残る名曲を生み出しました。
今回は、演奏で世界中を駆け巡った作曲家サン・サーンスのゆかりの地をご紹介していきます。
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このページの目次
シャルル・カミーユ・サン・サーンス(Charles Camille Saint-Saëns)とは?

カミーユ・サン・サーンスは、1835年10月9日にパリで誕生しました。
生後間もなく父親が他界し、母と大叔母に育てられます。
2歳のときにピアノを与えられ、見る見るうちに上達。
子供向けのピアノ教則本だけでは物足りず、ハイドンやモーツァルトなどの古典曲にも挑戦し、10歳のときにはSalle Pleyelでピアニストとしてコンサートデビューを果たしています。
こうしてサン・サーンスは「モーツァルトの再来」といわれ、モーツァルトと比べられるほどの神童ぶりでした。
またサン・サーンスはピアノレッスンだけにとどまらず、Pierre Maledenから作曲を学び、音楽以外の分野においてもラテン語やギリシャ語、数学、天文学、考古学、哲学なども秀でていました。
1848年、13歳でパリ国立音楽院(コンセルヴァトワール)に入学し、François Benoistからオルガンを学び、Jacques Halévyから作曲と管弦楽法を学びました。
1857年、マドレーヌ教会のオルガニストに就任し、世界一偉大なオルガニストとしての名声を得ます。
1877年まで20年間もの長期に渡って任務を果たしました。
1861年から1865年にかけて、サン・サーンスはパリのニデルメイエール音楽学校(École Niedermeyer de Paris)で教職に就きます。
教え子の中には、Gabriel FauréやEugène Gigoutなどがいました。
1871年、Romain Bussineらと共に国民音楽協会を設立。この協会には、ガブリエル・フォーレやCésar Franckなども参加しました。
1875年、サン・サーンスはMarie Laure Emile Truffotと結婚。2人の息子にも恵まれましたが、1878年に相次いで息子を亡くし、のちに離婚しています。
1881年、芸術アカデミー会員に選出され、1884年にはレジオン・ドヌール勲章のオフィシエを授与。
1883年に初演されたオペラ「ヘンリー18世」で大成功をおさめ、活動の場をフランス国外に移すようになりました。
ドイツをはじめロシア、アメリカ、イギリスなど海外公演を積極的に行い、1893年にケンブリッジ大学、1907年にオックスフォード大学から名誉博士号が贈られます。
1900年、レジオン・ドヌール勲章のグランドフィシエを受勲し、1901年ドイツ皇帝ヴェルヘルム2世によりプール・ル・メリット勲章を授与されます。
さらに1913年には、レジオン・ドヌール勲章の最高位であるグラン・クロワを贈呈されました。
1921年12月16日、アルジェリア旅行中にサン・サーンスは86歳の生涯を閉じました。
遺体はフランスに運ばれ、パリのマドレーヌ教会で国葬が執り行われました。サン・サーンスの遺骸は、モンパルナス墓地に埋葬されています。
サンサーンスゆかりの地巡りのベストシーズン
フランスのベストシーズンは1年中と言っても過言ではありません。
どの季節も素晴らしいのですが、広場や公園の散策も楽しむのであれば気候の良い春から秋にかけてがおすすめです。
ノルマンディー地方のハイシーズンは6月~9月でホテルの値段は高騰します。
4月~10月までは営業時間が延びる施設が多く、多くのスポットを観光することができますよ!

サンサーンスのゆかりの地3選
①ディエップ博物館(Musée de Dieppe)
英国海峡を臨むノルマンディー地方の港街Dieppeは、リゾート地として知られています。
サン・サーンスの父の故郷であり、サン・サーンスもまたこの地を愛しました。
サン・サーンスは生前、14,000通の書簡をはじめ、譜面や書籍などをディエップ博物館に寄贈したため、サン・サーンスゆかりの品々がこの博物館に保管されています。
②マドレーヌ寺院(Église de la Madeleine)


マドレーヌ教会といえば、オルガン製作者Aristide Cavaillé Collによって製作されたパイプオルガンが有名です。
サン・サーンスは、1858年から1877年の約20年間、マドレーヌ教会のオルガニストに就任しました。
当時、マドレーヌ寺院のオルガニストは、オルガニストの最高峰といわれていました。


サン・サーンスは即興演奏を得意とし、オルガン作品も数多く残しています。
サン・サーンスのオルガン演奏を聴いた「ピアノの魔術師」Franz Lisztは、サン・サーンスを「最高のオルガン奏者」と絶賛しています。
③モンパルナス墓地(Cimetière du Montparnasse)


パリの三大墓地の1つであるモンパルナス墓地には、多くの著名人が眠っています。
アルジェリア旅行中に死去したサン・サーンスの遺骸は、モンパルナス墓地に埋葬されました。


広大な敷地のため、目的のお墓を探すのに一苦労します。入り口の管理事務所で、あらかじめ地図をもらっておくとよいでしょう。
サンサーンスのゆかりの地まとめ
世界中を旅し、国際的に活躍したサン・サーンスの音楽は、フランスよりも国外で人気があります。
サン・サーンスは、作曲家の登竜門と呼ばれる「ローマ賞」を逃しましたが、作曲家として見事に大成しました。
作曲作品は多岐に渡っており、クラシック音楽史に大きな功績を残した作曲家です。
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