「野生の画家」と呼ばれたポール・ゴーギャンは、ポスト印象派を代表する画家の1人です。
印象主義に異議を唱え、モチーフを単純化し、はっきりした太い輪郭線と鮮やかで平滑な色面で表現する「総合主義(サンテティスム)」という独自の絵画手法を確立し、数多くの名画を残しました。
当ブログ「フランスボックス」では、実業家から画家に転じ、前衛芸術家たちに大きな影響を与えポール・ゴーギャンゆかりの地をご紹介していきます。
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このページの目次
ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin)とは?
ポールゴーギャン(Paul Gauguin) | |
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出没年 | 1848年6月7日-1903年5月8日 54歳で死去 |
様式・流派 | ポスト印象派、ポン・タヴェン派 |
出身 | パリ |
代表作 | 《タヒチの女たち》オルセー美術館 《黄色いキリストのある自画像》オルセー美術館 《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》ボストン美術館 |
影響を受けた人物 | ピサロ、ベルナール、ゴッホ |
影響を与えた人物 | ナビ派の画家、ピカソ、マティス、シャガール |
幼少期
ポール・ゴーギャンは、1848年6月7日にパリで誕生。
父親は共和主義者のジャーナリスト、母親は作家で社会改革運動家のFlora Tristanの娘。
1851年、ナポレオン3世のクーデターにより、共和主義者であった父親が失職。
二月革命の弾圧から逃れるため一家はペルー共和国に向かいました。
しかし航海中に父親が急死し、残された家族は親戚を頼ってペルーで4年間過ごします。
ゴーギャンが7歳のとき、一家はフランスに戻り、父方の祖父を頼ってオルレアンで生活を開始。
地元の学校に通った後、ゴーギャンは商船の水先人見習いになりました。
1868年から1870年まで、兵役でフランス海軍に入隊。
1871年、パリ証券取引所に就職。株式仲買人として働き、やがて絵画取引でも収入を得るようになります。
1873年、デンマーク人のMette Sophie Gadと結婚。5人の子供に恵まれましたが、のちに離婚しています。
ここまでは絵に描いたような順風満帆。他の画家とは一線を画す人生です。
この頃からゴーギャンは、仕事の傍ら絵を描くようになります。
芸術キャリア
ゴーギャンの家の近くには、印象派画家たちの集まるカフェがあり、そこでピサロと知り合いました。
ピサロと親交を深めたゴーギャンは、ピサロの家へ度々訪れ、絵の指導をしてもらうようになります。
1876年、サロンで初入選。
1879年、第4回印象派展に初めて作品を出品。それ以降、第8回印象派展まで続けて出品しました。
1883年、本格的に画家として生きていくことを決意。経済的に困難な生活が続いたため、翌年ルーアンに移住。
1886年、ブルターニュ地方Pont-Avenにある画家のコミュニティで暮らし始めます。
そこでÉmile Bernardと出会い、総合主義(サンテティスム)を作り上げ、ポン・タヴェン派と呼ばれるようになります。
1887年、パナマを訪れたゴーギャンは破産し、国費でフランスへ帰還。
しかしマルティニーク島で下船し、約半年間滞在します。
1888年、南フランスのアルルに住むゴッホの誘いを受け、「黄色い家」で共同生活を開始。
しかし2人の関係は次第に悪化し、同年ゴッホの耳切り事件が起こります。こうしてわずか2ヶ月で終止符を迎え、ゴーギャンはアルルを去りました。
これ以降、ゴッホとゴーギャンが会うことは二度とありませんでした。
タヒチへ
1891年、長年の夢であったタヒチへ旅立ち、そこで精力的に制作を始めます。
健康状態の悪化や経済的困窮のため一度帰国しましたが、1895年に再びタヒチに戻ります。
1897年、異国の地で失意と貧困にあえぐ中、さらに追い討ちをかけるかのように娘アリーヌの死の知らせを受けます。
深い悲しみと絶望に襲われたゴーギャンは、死を決意し、人生最後の作品《我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか D’où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?》を完成させました。
その後、ヒ素を飲み自殺を図りましたが、未遂に終わっています。
1901年、タヒチ島の北東に位置するフランス領ポリネシアのマルキーズ(マルケサス)諸島に移り住みます。アツオナ村に「快楽の家」を建て、そこがゴーギャンの終焉の地となりました。
1903年5月8日、突然倒れ、帰らぬ人となりました。享年54歳でした。
ポール・ゴーギャンゆかりの地ベストシーズン
フランスのベストシーズンは1年中と言っても過言ではありません。
どの季節も素晴らしいのですが、郊外もめぐるのであれば気候の良い春から秋にかけてがおすすめです。
4月~10月までは営業時間が延びる施設が多く、多くのスポットを観光することができますよ!
美術館だけがお目当てであれば、あえて、オフシーズンでリーズナブルな冬の期間も良いと思います。
ポール・ゴーギャンゆかりの地2選
①ポン・タヴェン美術館(Musée des beaux-arts de Pont-Aven)
「画家の村」として知られるブルターニュ地方のポン・タヴェンは、多くの画家たちを魅了した場所です。
ポール・ゴーギャンをはじめ、Émile Bernard、Paul Sérusierらが集まり創作活動を行い、のちに「ポン・タヴェン派」と呼ばれました。
現在、村にはたくさんのアートギャラリーがあり、今でも世界中から芸術家たちが集まります。
また村外れには、《黄色いキリスト》のモデルとなったキリスト像のある「トレマロ礼拝堂(Chapelle de Tremalo)」が静かに佇んでいます。
村の一番の見どころは、1985年に開館したポン・タヴェン美術館。
ポン・タヴェン派のコレクションが中心に展示されていますポール・ゴーギャンの作品《ブルターニュの浴女》、《海の惨事、ブルターニュ》、《ブルターニュの少年の水浴》などを鑑賞することができます。
ポン・タヴェン美術館 | |
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住所 | Place Julia, 29930 Pont-Aven 地図 |
行き方 | パリのMontparnasse駅からTGVでQuinperlé駅下車。カンペルレ駅からポン・タヴェンまで(18km)バス、またはタクシーで。所要時間約5時間。 |
時間 | 10:00-18:00 (7月・8月 10:00-19:00) (冬季 14:00-17:30) |
定休 | 月曜日 |
料金 | 8ユーロ 18歳以下無料 |
HP | https://www.museepontaven.fr/fr/ |
※最新情報は公式サイトでご確認ください。
②オルセー美術館(Musée d’Orsay)
駅舎を改装してできたオルセー美術館は、1848年から1914年の膨大な美術作品を所蔵します。
世界最大の印象派とポスト印象派のコレクションが揃う美術館として知られ、世界中から観光客が訪れます。
ゴーギャンの作品もまた数多く所蔵しており、《タヒチの女たち》をはじめ、《黄色いキリストのある自画像》、《ポン・タヴェンと洗濯女たち》、《白い馬》、《アレアレア》、《レ・ザリスカン(アルル)》、《食事》、《雪のブルターニュの村》、《扇面のある静物》、《ヴェイルマティ》、《黄金色の女たちの肉体》、《イエナ橋から見たセーヌ川》などが展示されています。
時間に余裕を持って、じっくりと鑑賞したい美術館です。
オルセー美術館 | |
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住所 | 1 Rue de la Légion d’Honneur, 75007 Paris 地図 |
最寄り | メトロ12号線Solférino駅 |
時間 | 9:30-18:00(火水金土) 9:30-21:45(木) ※閉館時間の45分前まで入場可能 |
定休 | 毎週月曜日、5月1日、12月25日 |
料金 | 16ユーロ 18歳以下無料 ミュージアムパスOK |
HP | https://www.musee-orsay.fr/ |
チケット | オルセー美術館チケット |
※最新情報は公式サイトでご確認ください。
ポール・ゴーギャンゆかりの地まとめ
実業家から画家に転身したポール・ゴーギャンは、まさに波乱万丈の人生でした。
晩年は健康状態の悪化や経済的困窮を強いられましたが、楽園を求めて渡ったタヒチで、ゴーギャンは新たなインスピレーションを受け、そこで多くの傑作を生み出しました。
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