ココ・シャネルはおそらく世界で最も有名な女性ファッションデザイナーでしょう。
高級ブランドCHANELを創設し、いまだにシャネルの人生に憧れる女性は後を絶ちません。
シャネルの斬新な発想は、女性のパンツスタイルを確立させ、男性用下着に使われていたジャージ素材を婦人服に導入し、クラシックなスタイルに新しい風を吹かせました。
また利便性とファッション性を両立した「リトルブラックドレス」や「シャネルスーツ」などを生み出し、女性にとって喪服の色だった黒をドレスに取り入れ、格式高く気品のある色として、ファッション界に大きな影響を与えています。
香水「シャネルNo.5」やバッグ「2.55」。ジュエリー、時計、シューズなどの分野にも展開していき、モード界の女王として揺るぎない信念のもと、シャネルは亡くなるまで第一線で活躍。
大好きだったカメリアの花のモチーフは、シャネル自身がデザインした2つの「C」を左右対称にクロスさせたモノグラムと並び、シャネルのアイコンになっています。
今回は、概念にとらわれない新しいスタイルで、ファッション界に革命を起こしたガブリエル・シャネルの人生とゆかりの地をご紹介していきます。
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このページの目次
ガブリエル・シャネル(Coco Chanel)とは?
幼少期から経営者になるまで
ココ・シャネルの本名はGabrielle Chanel。
1883年8月19日、フランス中西部の街ソミュールで貧しい家庭に誕生しました。
シャネルが12歳のときに母親が他界し、父親はシャネルを聖母マリア聖心会が運営するオーバジーヌの孤児院に預けます。
シャネルは裁縫を学び、そこで身に付けた技術がのちに活かされ、シャネルのキャリアとなりました。
1900年、シャネルは仕立屋で職を見つけ、お針子として働きながら、騎兵将校のたまり場となっていたキャバレー「ラ・ロトンド」で歌を歌い、テーブルを回って集めたチップを収入源としていました。
シャネルの愛称で有名な「Coco」は、その時に歌っていた歌にちなんで付けられたものです。
シャネルは舞台での成功を夢見ましたが、結局それが叶うことはありませんでした。しかしそこで、フランス軍元騎兵将校で繊維業者の息子Étienne Balsanと出会います。
バルサンは両親の多大な遺産を受け継ぎ、その遺産でコンピエーニュ近郊にあるロワイヤリューの城を購入。
シャネルはバルサンの愛人となり、ロワイヤリューで暮らし始めました。
貧しい生活から一転し、贅沢な暮らしが与えられます。
乗馬を学び、馬に熱中したシャネルは、自分の体型に合った乗馬用のズボンを作るよう仕立屋に注文。
当時のフランスでは、上流階級の服装は装飾豊かなロングドレスを身につけ、乗馬の際にも女性は横座りで騎乗するのが一般的でした。
この頃、シャネルはバルサンの家に出入りする女性たちに自分がデザインした帽子を作っていました。次第にシャネルの婦人帽が評判となります。
1909年、バルサンの友人で、裕福なイギリス上流階級出身のArthur Capelと出会います。
シャネルはバルサンと別れ、カペルと交際を開始。
カペルから白いカメリア(椿)をプレゼントされ、シャネルは生涯この花を愛しました。
シャネルはカメリアをよく身につけ、ファッションを楽しんでいました。
のちにシャネルがデザインするドレスやバッグ、ジュエリーなどにカメリアが施されるようになり、シャネルの代表的なアイコンとなりました。
ブランドの創設
1910年、カペルの資金援助により、パリのカンボン通り21番地に婦人用帽子専門店「シャネル・モード」を開業。
1912年、舞台女優Gabrielle dorziatがシャネルの帽子をかぶったことが話題となり、注目を集めます。
1913年、上流階級が集まっていたノルマンディー地方の避暑地ドーヴィルに初めてファッションブティックをオープン。こちらもカペルからの資金提供がありました。
1915年、フランス南西部の避暑地ビアリッツのカジノに面するヴィラに「メゾン・ド・クチュール」をオープンします。
ここでロシア皇帝の従兄弟Dmitri Pavlovich大公と出会い、親密な関係を築きます。
1918年、カペルと一緒になることを望んでいたシャネルの意に反して、カペルはイギリスの貴族ダイアナ・ウィンダムと結婚。
しかし2人の関係は、1919年12月22日にカペルが交通事故で死亡するまで続きます。
同年、事業拡大に伴い、カンボン通り31番地にメゾン・ド・クチュールを出店。
1921年、シャネル初の香水「シャネルNo.5」を発売。
この頃のシャネルは、ロシア・バレエ団「バレエ・リュス」率いるSergei Diaghilevや作曲家Igor Stravinsky、画家Pablo Picasso、詩人・小説家Jean Cocteauなどの芸術家をはじめ、実業家や貴族などと親交を深めます。
1925年、Westminster公爵と恋仲に。しかしその恋も長くは続かず、シャネルは生涯結婚をしませんでした。
シャネルは貴族や大富豪、芸術家、敵国軍人らの愛人となり、ファッションビジネスを成功させ、困難な状況を巧みに生き延びました。
1929年、世界恐慌が起こり、世界経済が混迷を極めます。
1939年、第二次世界大戦が勃発すると、シャネルはブティックを閉じてファッション業界から姿を消しました。
1944年、フランスがドイツ軍から解放されると、シャネルはドイツ当局に協力的な姿勢を取っていたとして逮捕。
第二次世界大戦中のナチス・ドイツによるフランス占領の間、シャネルはドイツ人将校で諜報員であったHans Gunther von Dincklage男爵と交際していました。
すぐに釈放されましたが、対独協力行為を訴追されるのを逃れ、スイスのローザンヌで亡命生活を余儀なくされます。
シャネルの釈放には、当時イギリスの首相だったWinston Churchillの計らいがあったのではないかといわれています。
晩年
1954年、10年間にわたる亡命生活からパリに戻り、71歳でファッション界に舞い戻ります。
復帰直後は痛烈な批判があったものの、シャネルのデザインはたちまち女性たちの心をとらえ、ファッションデザイナーとしての地位を取り戻しました。
1955年、「シャネルスーツ」を発表し、モード・オスカー賞を受賞。
1971年1月10日、ガブリエル・シャネルは、パリの最高級ホテル「オテル・リッツ」で人生の幕を閉じました。享年87歳でした。
恋多き女性として知られ、生涯独身を貫き自由で自立した女性でした。
けれども晩年のシャネルは、極度の孤独や不安に悩まされ、1日1本のモルヒネ注射を打っていたといいます。
シャネルの葬儀はパリのマドレーヌ寺院で執り行われ、亡骸はスイスのローザンヌの墓地に埋葬されました。
ココシャネルゆかりの地ベストシーズン
フランスのベストシーズンは1年中と言っても過言ではありません。
どの季節も素晴らしいのですが、郊外もめぐるのであれば気候の良い春から秋にかけてがおすすめです。
ココシャネルゆかりの地2選
①オテル・リッツ(Hôtel Ritz)
高級宝飾店が立ち並ぶヴァンドーム広場にあるオテル・リッツは、2017年に「パラス」の称号を獲得したフランスが誇る最高級ホテルです。
ココ・シャネルやErnest Hemingway、Marcel Proustなどのセレブリティに愛され、ヘミングウェイはバーにその名を残し、客室とスイートにはココ・シャネルやマルセル・プルーストなどの著名人の名前が付けられています。
カンボン通りにブティックをオープンしたガブリエル・シャネルは、オテル・リッツをこよなく愛し、度々宿泊していました。
カンボン通りに面したホテルの扉を経由して、シャネルはメゾン・ド・クチュールに通っていました。
1935年からオテル・リッツのスイートに居を構え、シャネルはお気に入りの家具や絵画などを持ち込んで部屋を飾っていました。
第二次世界大戦中、オテル・リッツはドイツ軍に接収され、ドイツ空軍のパリ支部として使われますが、シャネルはそのまま住み続けることが許されていました。
オテル・リッツ | |
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住所 | 15 Place Vendôme, 75001 Paris 地図 |
最寄り | メトロ1号線Concorde駅 |
時間 | – |
定休 | 無休 |
料金 | – |
HP | https://www.ritzparis.com/en-GB |
※最新情報は公式サイトでご確認ください。
②シャネル本店(CHANEL)
シャネルの本店は、カンボン通り31番地にあります。
1階はブティック、3階にシャネルが暮らしたアパルトマンが当時のまま保管されています。
残念ながらシャネルのアパルトマンは、一般公開されていません。
大規模な改装工事が行われ、シャネルがタバコを片手に自身のファッションショーを眺めていたことで有名な鏡張りの螺旋階段も写真をもとに復元されています。
シャネル本店 | |
---|---|
住所 | 31 Rue Cambon, 75001 Paris 地図 |
最寄り | メトロ1号線Concorde駅 |
時間 | 10:00-19:00(月-土曜日) 11:00-19:00(日曜日) |
定休 | 無休 |
料金 | – |
HP | https://www.chanel.com/fr |
※最新情報は公式サイトでご確認ください。
ココシャネルゆかりのまとめ
シャネルの人生は波乱万丈でした。
その強烈な生き方は、現在でも語り継がれ、文学作品や映画の中でも描かれてきました。
女性の自立と自由を追求し、どんな逆境にもめげず、ひたすら信念を貫き立ち向かっていくシャネルの姿には、多くの女性たちが共感。
そして多くの美しいアイテムを生み出し、女性たちに新しいファッションスタイルを提供したのです。
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当ブログ「フランスボックス」ではパリ在住者が教えるホテルの選び方と安全でコスパの良いおすすめエリアでホテルに関する注意点や知っておきたい情報をまとめました。
日本人に最も人気のエリアで、わたしたちもおすすめするオペラ座周辺のホテルについてもぜひご覧いただけると嬉しいです!
予算はどれくらいかかっても一流ホテルに泊まりたいという方は、パレスホテルの代表、オテルリッツをおすすめします。
ココシャネルやダイアナ妃にも愛されたパリに行くすべての人達が憧れる、フランス最高峰のホテルで、サービス、食事、設備どれをとっても申し分なく、私にとって人生最高の滞在でした。
かなり高額な宿泊代とはなりましたが、一生の思い出に1泊だけ泊まることができ悔いありません。
ヴァンドーム広場が目の前で、オペラ座までも500mと観光するにも抜群の立地。
絶対に忘れられない滞在になること間違いなしなので1泊だけでもぜひ検討してみてください!